2014年3月撮影 那覇市識名
識名園(世界遺産)1799年完成
王家の別荘で、王族の保養や外交接待の場として使われていたそうです。
琉球式と中国式が共存する庭園。
行って来ました(^^)
気にはしてたがなかなか機会が無くて‼︎
大きな池には船着き場(写真撮るの忘れた
)があり、船に揺られながら保養できるなんて、王様達の暮らしぶりに憧れます!!!
HP抜粋
識名園(しきなえん)は沖縄県那覇市識名にある琉球庭園の一つ。
識名の御殿(しちなぬうどぅん)とも、また首里城の南にあることから南苑(なんえん)とも呼ばれた。造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(在位・1752年 - 1795年)の時代に始まったと言われるが定かではない。完成は尚温の時代の1799年。
中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建築されている。完成当時は中国皇帝からの使者(冊封使)をもてなす、現在でいう迎賓館として使われた。「勧耕台」と称する展望台があるが、海を望むことはできない。これは琉球をより大きな国に見せるためともいわれている。





識名園(世界遺産)1799年完成
王家の別荘で、王族の保養や外交接待の場として使われていたそうです。
琉球式と中国式が共存する庭園。
行って来ました(^^)
気にはしてたがなかなか機会が無くて‼︎
大きな池には船着き場(写真撮るの忘れた

HP抜粋
識名園(しきなえん)は沖縄県那覇市識名にある琉球庭園の一つ。
識名の御殿(しちなぬうどぅん)とも、また首里城の南にあることから南苑(なんえん)とも呼ばれた。造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(在位・1752年 - 1795年)の時代に始まったと言われるが定かではない。完成は尚温の時代の1799年。
中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建築されている。完成当時は中国皇帝からの使者(冊封使)をもてなす、現在でいう迎賓館として使われた。「勧耕台」と称する展望台があるが、海を望むことはできない。これは琉球をより大きな国に見せるためともいわれている。





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