経塚近世墓群(^^)
「近世墓125墓を発掘 浦添市経塚」と琉球新報の2002年の記事の見出しでした。
浦添城跡から何気に城下町をみていたら 遠方に造成工場と思いきや そこには
無数の洞窟のような?古い墓のような?穴群があるではないか!
2014年2月1日浦添城より撮影
琉球新報抜粋
近世墓125墓を発掘 浦添市経塚
2002年11月7日
【浦添】浦添市前田・経塚の浦添南第一土地区画整理事業地内で、2、300年前の100を超える近世墓が密集して見つかった。発掘調査をしている浦添市教育委員会は6日までに125基を確認した。現場は下平良大名原(しちゃでーらうふなーばる)と呼ばれる丘陵地。多くがフィンチャーと呼ばれる掘込墓(ほりこみばか)。遺骨の入った厨子甕(ずしがめ)のほか、10基をつないだ通路や防毒マスク、ヘルメットなど日本兵の装備品が出土し、陣地壕(ごう)として使われていたことも判明した。
調査は1999年度から始まり、調査が進むにつれ埋没墓が現れた。調査担当の佐伯信之さん(文化財係)は「これだけの数とは予想していなかった。まるで墓地公園のよう」と話している。
壕として利用された墓は南側斜面に集中している。陣地にしていた部隊やその期間は判明していない。過去の沖縄戦に関する調査でも、確認されておらず、今回の調査で陣地壕の存在が明らかになった。「遺跡や遺物が開発によって調査されることなく消え去っていく中、調査結果が悲惨な戦争を記録にとどめる資料になれば」と佐伯さん。
HPより拝借
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